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かくれんぼ ( 3 / 3 )

 



夜空で冴え冴えと輝く上弦の月。

微笑む口元のような形を見上げながら、頼忠は深いため息をついた。

不甲斐無い。

意気地のない。

ものの役に立たぬ。

自分を責める言葉が尽きせぬ泉の如く次々と浮かんでくる。




「あの方をお守りしたい……。私の願いはそれだけだ」




月明かりに照らされた真夜中の庭園を、一歩一歩踏みしめながらつぶやく。

それは心からの言葉ではあったが……。




やがて花梨の局が視界に入ってきた。

足音と気配を消し、いつものように立木の陰に佇む。

蔀戸を閉じた局の中は真っ暗で、灯り一つ揺れていない。

(今宵も神子殿のお目を穢さずに済みそうだ)

そう安堵すると、再び月を見上げた。

……カタリ。

ためらいがちな物音が、小さく響く。




「……頼忠さん?」

わずかに開いた妻戸の陰から、花梨が顔を出した。


「!!?」

「やっぱり! よかった、頼忠さん……!」

庭に駆け下りてきそうな勢いで走り出す花梨を見て、頼忠はあわてて階(きざはし)を上る。

「神子殿!」

「頼忠さん!」

ポスンと、自分の胸の中に収まった少女が花梨だという現実を把握するのにしばらくかかった。

「もう〜! 心配したんですよ! 本当に本当に心配だったんだから!!」

「……神子……殿……」




勢いで抱きついてしまった花梨は、さすがに頬を染めて少し体を離した。

「翡翠さんが、頑張って夜更かしすれば頼忠さんに会えるって。もしかして、毎晩こんな時間に来てたんですか?」

「は……はい」

「どうして? 私の顔、見たくなかったとか?」

「そ、そのようなことはございません! ただ、私の宿直が神子殿をご不快にさせるのではないかと」

永遠に言うつもりのなかった言葉が、口からすらすらと出てくる。

「どうして?! 不快なんて、そんなわけないです! 私はただ、頼忠さんが頑張りすぎて体を壊さないか心配で……! でも、そんな風に思わせちゃったなら本当にごめんなさい」

花梨が今にも泣き出しそうな顔をしたので、頼忠は必死で言葉を紡いだ。

「いえ! 私のほうこそ申し訳ございませんでした! 神子殿のやさしいお心遣いは十分わかっておりましたのに……その……」

「……?」

「……………」

「頼忠さん……?」




突然、頼忠はガバッと花梨の足元に跪いた。

「?!」

「神子殿、どうか私に毎夜の宿直をお許しいただけませんか? 休息は別の時間に取っておりますし、私は……私はこの手で神子殿をお守りしたいのです。誰であれ、ほかの者になど任せたくないのです! 」

「……え……!」

花梨は両手を口に当て、絶句する。

最後の審判を待つかのように、頼忠は深く深く頭を垂れた。




しばしの沈黙の後。

頼忠の傍らに花梨の気配が下りてきた。

「……絶対……無理はしないって約束してくれますか」

「……神子殿……」

目を開くと、すぐそばにほんのりと頬を染めた花梨の顔。

「頼忠さんの気持ちはとてもうれしいから……。でも、無理はしないでほしいんです」

少し潤んだ少女の瞳を、頼忠はまっすぐに見つめる。

「はい。お約束いたします」

「じゃあ……私もお願いします」

花梨はぺこりと頭を下げた。




恐縮する頼忠と、礼を言うのは当然のことだと主張する花梨の言い合いがしばらく続いた後、花梨は局の中に戻って行った。

その後ろ姿を切ない思いで見送りながら、明日からは堂々と宿直を務められるのだと、頼忠は自分に言い聞かせる。

微笑む月は、夜の庭を柔らかく照らし出していた。



* * *



「結局、頼忠は再び、神子殿のもとに伺うようになったようですね」

再び祇園社の境内。

幸鷹は翡翠と並んで歩きながら、今朝自分で確かめたことを告げた。

翡翠は片手で長い髪を背に流すと、優雅な微笑みを浮かべる。

「まあ、神子殿に宿直を認めてもらえたのだからね。不満はあるまい」

「不満……? 頼忠は神子殿にご心配をかけたくなかったのでしょう?」

幸鷹の言葉を「おやおや」という目つきで翡翠が受け止める。

「別当殿、君は頼忠の言い分を信じたとでも言うのかい?」




「……それは……宿直の時間帯はともかく、朝出仕しない理由までは聞けませんでしたが」

小馬鹿にしたような口調にムッとしながら、幸鷹は答えた。

すると、翡翠が片目をつぶってみせる。

「頼忠はね、拗ねていたんだよ」

「はあ……?!」




思わず立ち止まった幸鷹に構わず、歩を進めていく。

「神子殿に『宿直はお前じゃなくても大丈夫だ』と言われて、傷ついたんだろう。だから、神子殿が彼を求めるまで、隠れて回ったんだ」

「お、お待ちください、翡翠殿! 頼忠はいい大人の、北面の武士ですよ?! そのように子供じみた真似を」

「いくつになっても恋しい人を前にすれば、男は子供に戻ってしまうものさ」

「こ、恋しい……?!! 頼忠が、神子殿を……ですか?!」

今度こそ幸鷹はあんぐりと口を開けて、その場に立ち尽くした。




「なんだ。それも気づいていなかったのかい」

「……私たちは、八葉ですよ」

「だから何だね? 私も神子殿のことは愛しく思っているよ」

「翡翠殿!!」

食って掛かる幸鷹を、翡翠は皮肉な眼差しで見つめ返す。

「まったく。検非違使別当がこれほど男女の機微に疎くては、正しい裁きも期待できまい。つくづく京の民も気の毒なことだ」

「!!」

「……まあ……君が伏して請うというなら、手ほどきしてやらないこともないがね」

「ほかの誰に尋ねるにしても、あなたにだけは尋ねませんのでご安心ください!」




吐き捨てるように言った幸鷹の背を、翡翠は笑いをこらえながら見送った。




数週間後。

恋愛の極意を探るべく、一挙手一投足を凝視し続ける検非違使別当にほとほと疲れた頼忠は、本当に病欠することになる……。

「べ、別当殿の視線が怖いのです……」





 

 
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