花守の幸福を
「きれい……! 花びらがフリルみたいでかわいい!」
「ちょうど見ごろでしたね。よかった」
京邸から少し歩いた小さな寺の境内に、譲と望美は来ていた。
二人が見ているのは、真っ白な花をたくさん付けたナツツバキの木。
管理している僧侶の許可を得て、木のすぐそばまで近寄っていた。
境内は静かで、ほかに人影はまったく見当たらない。
「この花は繊細で、朝咲くと夕方には落ちてしまうんです。だから、その日にどのくらい見られるかは運次第らしくて。やっぱり先輩は運がいいんだな」
「私じゃなくて譲くんが、だよ! こんな場所があるなんて知らなかったもの。連れてきてくれてありがとう!」
望美に満面の笑みで感謝されて、譲は顔を上気させた。
平常心を取り戻すため、ゴホンと軽く咳払いする。
「『平家物語』の冒頭に出てくる沙羅双樹は、この木のことなんです。この時代の人にとって、儚いものの象徴だったんでしょうね」
「え~と、祇園精舎の鐘の声……だよね」
「ええ。その後の、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす……ですね。あ、これ、こっちの人に言っちゃダメですよ」
「? なんで?」
望美が不思議そうに聞き返すので、譲は苦笑した。
「一応、源平の合戦が終わって、鎌倉時代になってから作られたフレーズのはずですから。異世界と言っても、ちょっとマズいんじゃないかな」
「あ! でも私、この間庭で、大声でサザンを歌っちゃったよ!」
「サザンは……まあ、多分問題ないと思いますが」
僧侶に礼を言って、二人は境内を後にした。
物売りや荷車が行き交う道を歩きながら、望美はうれしそうに譲に問い掛ける。
「それで譲くん、今度はどこに行くの?」
「百合と下野を一度に見られる場所です。個人のお邸だから、景時さんに話を通してもらったんですが」
「わ~、楽しみ! あ、見て見て! 露草がたくさん咲いてる!」
道端を彩る青い花を見て、望美が歓声を上げた。
◇ ◇ ◇
「おばあさま、そのお花は何?」
「遅咲きのバラよ。こちらにはいろいろな種類のお花があるから、神子様のために庭を整えやすくていいわね」
「ミコサマ……?」
「……譲、このバラはね、ちょうど望美ちゃんのお誕生日のころに咲くの。お誕生日会のときに望美ちゃんに見せてあげるのよ」
「うん! 望美ちゃん、喜ぶ?」
「もちろん。女の子はお花が大好きだからね」
◇ ◇ ◇
「あ! 今年は去年より花が増えてる! 譲くん、これは何ていう名前?」
「釣鐘草です。別名、カンパニュラ」
「カンパニュラ……って」
「ラテン語で『小さな鐘』という意味だそうです。『銀河鉄道の夜』のカムパネルラと同じですね」
「カムパネルラの花なんだ。きれい……」
「先輩の誕生日にちょうど咲いてよかったです」
「うん! 素敵な偶然に感謝しちゃう!」
◇ ◇ ◇
「おい、譲。はっきり言わないと、望美はいつまでも気づかないぞ」
「……何をだよ」
「あいつは能天気だから、自分の誕生日会のときにたまたまうちの庭にたくさん花が咲いてると思ってるんだ」
「いいじゃないか、実際そのとおりなんだから」
「へえ。つまりお前は、6月の4日ごろに咲く花ばっかりたまたま育てたくなるってことか」
「兄さんには関係ないだろ! もう放っておいてくれよ」
◇ ◇ ◇
「譲くん?」
気づくと、望美が顔を覗き込んでいた。
「あ! は、はい、すみません。何ですか?」
どうやらさっきから話し掛けていたらしい。
見事な百合の花が咲きそろう庭を背景に、じっと見つめている。
せっかくの機会にぼおっと思い出に浸っていたなんて! と、譲は激しく後悔した。
「……どうして今日、お花めぐりに連れ出してくれたの?」
二度目に口にするらしい問いを、望美は発した。
「え? だって今日は、先輩の誕生日ですから。こっちに来たのは冬だったし、いろいろバタバタしていて、6月に間に合うよう庭も整えられなかったし、せめて京に咲く花を楽しんでもらえればと思って」
譲の答えを聞きながら、望美の瞳が次第に大きく見開かれる。
(あれ? 俺、何かおかしなこと言ってるかな?)
心の片隅で焦りつつも、譲は話を続けた。
「暦も違うし、俺の知ってる花も案外後になって日本に入ってきたものが多かったみたいで、あまり見つけられませんでしたけど。来年の6月には庭にたくさん花を咲かせられるよう頑張りますから、今年はこれで我慢して……」
「やっぱり、私の誕生日に合わせてくれていたの?」
望美が目を潤ませながら尋ねた。
「……え」
「毎年毎年、お誕生日会のとき、すごくきれいなお花が咲いてて、譲くんは『先輩が花の季節に生まれたからですよ』って言ってたけど」
「あ、いや、あの」
「やっぱり偶然じゃなかったんだね! 将臣くんに聞いても教えてくれなくて」
「先輩」
「ありがとう……!!」
両目から大粒の涙をこぼした望美が抱きついてきた。
「せ……!?!」
「ありがとう! 私、こっちに来てから譲くんに世話ばかりかけてるって思ってたけど、譲くんはもっとずっと前から……いろいろ気遣ってくれたんだね!」
「先輩」
「ありがとう! 本当にうれしい! 何年分も合わせてうれしい!!」
ぎゅうっと抱きついたまま、望美は泣き続けた。
細い肩が小刻みに震えている。
どうにか泣き止んでもらいたくて、譲はその肩にそっと触れた。
「そんな……俺が勝手に……やっていたことですから……」
望美の頭が大きく左右に振られる。
「先輩……」
「……譲くん、大好きだよ」
「え?」
「そばにいてくれてありがとう。本当にありがとう……」
「………………」
異世界に突然飛ばされ、刀を握り、怨霊と対峙し……。
それでもほとんど泣き言や弱音を吐かずに、望美は闘ってきた。
本当は心細くて不安で、何かにすがりたかっただろう。
こんな風に悲しみや痛みをたくさん抱えて、毎日を過ごしているのだろう。
譲は思い切って腕を望美の背中に回すと、袖で包み込むように抱き締めた。
自分のように頼りない人間でも、彼女が一時泣く場所を提供できるのなら。
本当の気持ちをさらけ出す相手になれるのなら。
「……俺も大好きです。ずっとそばに……いさせてください」
望美の「大好き」は、自分の「大好き」とは違うものだけれど……。
心からの想いを、慰めの言葉に乗せて、望美の耳元に囁いた。
* * *
「ごめんね、なんか大泣きしちゃった」
赤くなった鼻を手で隠しながら、望美が照れ笑いする。
「いいえ、大丈夫ですよ。目とか痛くないですか? どこかで洗いますか?」
隣を歩きながら、譲が気遣う。
「平気平気。でも、こんな顔のままお邸に帰るとまずいから、回り道してゆっくり歩いてもいい?」
「俺はもちろん。ああ、じゃあもう一カ所、卯の花がきれいな場所に行きましょうか」
「本当? うれしい!」
「もちろん。女の子はお花が大好きだからね」
懐かしい祖母の声が、耳元で聞こえた気がした。
「ミコサマ」……そういえばあのとき、そう言っていなかったか?
「譲くん、こっちの道でいいの?」
細い道を曲がりながら、望美が尋ねる。
「あ、先輩! そっちは足元が悪いですから」
譲がとっさに手を取ると、
「ありがとう」
と、望美がうれしそうに笑った。
どんな花よりも可憐で美しい、花の中の花。
一瞬言葉を失った後、譲はゆっくりと微笑む。
「そうだ、先輩。肝心なこと、まだ言ってませんでした」
「え? 何?」
目を丸くして見つめる望美の手を取ったまま、彼女の正面に立つ。
そうして伝えるのは、言葉にする想いと言葉にしない想い。
「先輩、お誕生日おめでとうございます」
どうかこれからもあなたの花守として、その微笑みを守らせてください。
「うん! ありがとう、譲くん!」
輝くような笑顔と、弾む声が応えた。
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