冬はやっぱり… ( 3 / 3 )
「遅いんだよ! 僕に力の無駄遣いをさせるのはやめてくれない?」
「これは……」
「う……わあ……」
「さあ、忍人、千尋、ちゃんと靴を脱いで上がってくださいよ」
コタツの上のカセットコンロでは、葦原家名物の「キノコたっぷり寄せ鍋」が煮えている。
ガスヒーターで心地よく暖められた部屋の中は、柔らかい白熱灯の光で照らされている。
テレビと、食器棚と、見慣れたカーテンや座布団の柄。
風早や那岐と暮らしていた奈良の家が、千尋の眼前にあった。
「二階までは再現してないから、勝手に行かないでよ」
「こことキッチンだけでもたいしたものですよ、那岐」
「ほら、いい加減に座ったら? 千尋」
「忍人も、ここは十分暖かいから上着を脱ぐといいですよ」
「……………」
「千尋」
「……………」
「千尋……?……」
ふっ……と、忍人の声のトーンが千尋を現実に戻した。
深い色の瞳が、気遣わしげに彼女を見つめている。
「……忍人さん?」
「どうした? 気分が悪いのか?」
「ううん」というように、首を大きく左右に振る。
「……ただ、驚いちゃって……。ここ……」
一歩踏み入れて天井や壁をぐるりと見渡す。
「中つ国に戻る前に、私と風早と那岐が暮らしていた家なんです。もう……二度と戻れないと思っていたから……」
「……!……」
忍人も、同じように部屋の中を見渡した。
「……そうか。ここが……」
「忍人に見せたかったんですよ、千尋がどんなところで育ったか。だから、那岐に鬼道の術で再現してもらいました」
風早が穏やかに微笑みながら言う。
那岐はその傍らで視線を床に落としていた。
「那岐、ありがとう。ここを忍人さんに見せられてすごくうれしいよ」
「別に僕は……」
「感謝する」
忍人の言葉に、那岐は思わず顔を上げた。
「普通なら決して叶わないことだ。君の尽力に礼を言いたい」
「……まったく。いかにも軍人っていう台詞だな」
「……?」
「那岐なりの『どういたしまして』だよ、忍人。さあ、2人ともコタツに入って。もうお腹がいっぱいかもしれないけど、一口だけでもわが家特製の鍋を味わってもらわないと」
2人の前に、風早が具を盛った小鉢を置いた。
千尋は、箸とレンゲを使いながら懐かしい味を頬張る。
その幸せそうな笑顔を見守った後、忍人は部屋の中の見慣れない物にあらためて視線を移した。
まばゆい光を放つ照明器具、温かな空気を送り出す暖房器具、横長の大きく平らな板……。
「あれはテレビって言って、世界各地で起きていることや、いろいろな物語を見ることができる道具なんです」
視線に気づいた千尋が説明する。
「……テレビ」
「一度に一つのものしか見られないので、子供のころは千尋と那岐が何を見るかを巡ってよくケンカしましたね」
「風早! そんな解説しなくてもいいじゃない!」
千尋が真っ赤になって抗議する。
「僕はケンカなんかしないよ。千尋が1人で勝手に怒ってただけ。今みたいに」
「那岐!」
クスッと、忍人が笑ったので皆が驚いて彼を見た。
「なるほど。二ノ姫は、こうやって育ったわけだ」
「す、すみません、忍人さん。あのころ……私は中つ国の記憶がなかったから……」
自分が守られ、甘やかされていたころ、忍人がどれだけの辛酸をなめていたかに思い至って、千尋はうなだれた。
「謝る必要はない。幼いころの二ノ姫は……葦の原で泣いてばかりいた。その姿と今の君がずっとつながらなかったんだ。ようやくわかった」
「!?……忍人さん、私を知っていたんですか?」
「俺が千尋を迎えに行く時、ときどきつきあってもらいましたからね」
風早が言い添える。
「……!……」
「あのままだったら、君は王になどなれなかっただろう。だから、この世界で君が育ったことに、それを可能にしてくれた風早と那岐に、俺は感謝したい」
「忍人さん……」
「不在の間、君たちが中つ国を支えてくれたからですよ。千尋は少なくとも戻る場所をなくさずに済んだ」
「それがよかったのかどうかは、僕にはわからないけどね」
「「「!」」」
那岐の言葉に、一瞬空気が張りつめる。
だが、顔を見合わせた千尋と忍人は穏やかに微笑みあい、言葉を飲み込んだ。
2人の様子を見て、風早もほっと息を洩らす。
(大丈夫。この運命は、千尋にも忍人にも辛いものではない)
「さあ、それではあらためて乾杯しましょうか。忍人の誕生日を祝って」
風早が配ったグラスを見て、那岐が不満の声を上げた。
「ちょっと、これ、ウーロン茶?」
「ええ。今夜は『奈良』での暮らしを忠実に再現しますからね」
「ウーロン茶、懐かしい! 夕霧がくれたの?」
「だって、俺がいれたほうがうまいでしょう?」
ウインクしながら風早が言うと、千尋が弾けるように笑った。
「忍人、25歳の誕生日おめでとう。この日をともに祝えて、本当にうれしいよ」
「忍人さん、お誕生日おめでとうございます!」
「…………おめでとう」
「ありがとう」
「乾杯」の声とともに、グラスがふれあう涼しい音が響く。
橿原の宮の中で、そこだけが明るく、暖かく輝く不思議な空間。
微笑みと軽い口喧嘩と、穏やかな語らいと軽やかに降る雪のような幸福の切片。
12月21日の夜は4人を包みながら、ゆっくりと穏やかに更けていった。
|