二人の天秤
コツコツと靴音を響かせて、カリガネは天鳥船の回廊を歩いていた。
途中の部屋をいくつか覗く。
「…………」
ふっと軽いため息をつくと、堅庭への階段を上り始めた。
「こんにちは、カリガネ」
庭では明るい光の中、金色の髪を春風になびかせて千尋が微笑んでいた。
傍らには従者の風早が寄り添っている。
「……ああ」
軽く会釈し、そのまま堅庭の奥の露台まで進む。
手すりに両手をかけ、四方の空をぐるりと見渡した。
春独特の霞むような青空に、白い雲が浮いている。
それ以外は、鳥の影ひとつ見えなかった。
「もしかして、サザキを探してるの?」
いつの間にか隣りに来た千尋の声。
「……ああ」
空を見つめたままカリガネが答える。
「他の場所は見た? 探すの手伝いましょうか?」
「いい。たいした用じゃない」
そのまま帰ろうとするカリガネの腕を、千尋が取った。
「でも、カリガネに何も言わずに出かけるのって、変じゃない?
もしかすると何かあったのかも」
深刻そうな千尋の顔に、軽く目を見張る。
「変……ではない。いつものことだ」
「え? 本当?」
「ああ……。
ドジを踏んで尻拭いする必要が出るまで、勝手にあちこち飛び回っている」
「…………」
千尋は黙り込んだ。
「もう行く」
「あ、カリガネ、待って!」
彼の横にパタパタと走り寄り、一緒に歩き始める。
「あの、カリガネはサザキの幼なじみ、なのよね?」
「ああ……」
「昔からずっとそうなの?
サザキが好き勝手やって、カリガネが後始末する……みたいな?」
カリガネは一瞬足を止め、しばらく考え込んだ。
「……そう、だな」
ひと言言うと歩き出す。
彼の頭の中のデータベースに、どうやら例外はないようだった。
「じゃあどうして? 一緒にいるの、大変じゃない?」
千尋が顔を覗き込んで尋ねた。
「どうして……?」
「その、苦労ばっかりさせられて、嫌にならない?」
「…………」
カリガネはじっと千尋の顔を見つめた。
「カリガネ……?」
「私には、サザキと二ノ姫はよく似ているように思える」
ぷっと噴き出したのは、控えめに2人の後をついてきた風早だった。
「か、風早! 笑わないでよ!
あ、カリガネ、待って! いったいどういう意味?」
また歩き出したカリガネの後を、千尋は小走りで追う。
「君はわずかな人数でいきなりレヴァンタの邸にやってきた。
必要もないのに私たちを助け、土蜘蛛までそばに置いている」
「そ! それは、だって、でも……!」
「周りの者は苦労している。だが、離れない」
「!」
回廊に入ると、カリガネは並んでいるドアの1つを開けた。
中に入り、すぐに器を抱えて出てくる。
千尋の手のひらに、ポンと見慣れない菓子を置いた。
「?」
「サザキの好物だ。ようやく材料が手に入ったので作った」
「もしかして……これを渡すために探してたの?」
「たいした用じゃない」
「……!」
「千尋、遠慮なくいただいたらどうですか」
風早が微笑みながら助言する。
千尋は頷くと、小さく「いただきます」とつぶやいて菓子をかじった。
途端に、瑞々しい香草の風味が口一杯に広がる。
春の爽やかさを閉じ込めたような、清冽な味だった。
「すごくおいしい……! これならサザキは大喜びするね!」
千尋の素直な感想に、カリガネはふっと表情を緩めた。
「だといい」
「絶対よ、絶対! ほら、風早も食べてみて!」
大はしゃぎしながら千尋が食べていると、日向の民や高千穂の兵士たちが徐々に集まってきた。
カリガネはその一人ひとりに律儀に菓子を渡す。
「カリガネ、大丈夫? サザキの分、なくなっちゃわない?」
「大丈夫だ。なくなったらまた作る」
「でも……」
申し訳なさそうな顔の千尋を、カリガネはまっすぐに見つめた。
「私がひとりで菓子を作っても、こんなに多くの者には食べさせられない。
サザキや二ノ姫がいれば、それができる」
「!」
「なんだなんだ、何の騒ぎだ、こりゃ?!」
突然、賑やかな足音が聞こえ、回廊の端から赤い羽が近づいてくるのが見えた。
「ごちそうさまでした、カリガネ。とってもおいしかった」
千尋は微笑みながら告げる。
「またそのうち作る」
「うん、楽しみにしてるね」
「お! 姫さん、どうしたんだ?」
回廊ですれ違いながら、サザキが尋ねた。
「サザキ、最高のプレゼントをカリガネが持ってるよ」
「ぷれ……ぜんと……?」
「サザキ」
「うわ、マジかよ!!」
「すっげーうめえ!!」
「カリガネ、天才だなおまえ!!」
サザキの興奮した声を聞きながら、千尋は回廊を後にした。
自室の前まで来て、ふと立ち止まり尋ねる。
「風早」
「何ですか?」
「私、そんなにサザキに似てる?」
「俺にとっても、すごい発見でした」
「……!!」
勢いよくドアを開けると、爽やかな春の風が廊下を吹き渡った。
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