突然の問い掛け

 



「もしも幸鷹さんが京へ行っていなかったら、私たちは会えなかったんですよね?」

ある昼下がり、幸鷹の家の居間で紅茶のカップを受け皿に置きながら、花梨は言った。

「……いきなりどうしたのですか?」

目を少し見開いて幸鷹が尋ねる。

京と呼ばれる異世界から二人がともに帰ってきて、すでに二カ月がたっていた。

現在は双方の両親公認で、健全かつ堅実な交際が穏やかに続いている。

(多分翡翠なら「不甲斐ない」と盛大に突っ込むだろうが)




「不思議だなあって思って。幸鷹さんがいない日常なんて、今の私には考えられないから。
でも、あのとき千歳ちゃんが幸鷹さんを召喚していなかったら、私、京で本当に一人ぼっちだったんだろうな……」

「……私が本当の意味であなたに寄り添えたのは、最後のほんのひと月足らず……。
お役に立てずに申し訳ありませんでした」

記憶が戻る前の自分の、花梨に対する態度を思い出して幸鷹は猛省する。

神子と認めるまでの冷たさ、疑惑の眼差しなど、やり直せるものならすべて最初からやり直したいくらいだった。

うなだれた幸鷹を見て、花梨が必死に両手を振る。

「そ、そんなこと言わないでください! 
京で最初に味方になってくれた八葉は幸鷹さんだったし、いつもすごく親切にしてくれたし、記憶が戻る前からとっくに私……」

「……?」

「その……とっくに……好きになってました……」

「…!」




初めて聞いた言葉だった。

自分が選ばれたのは、やはり同じ世界の出身であることが大きかったのだろうと、心のどこかで幸鷹は思っていた。

それがほかの八葉に対するやましさにもつながっていたのだが……。

「……そう言っていただけて本当にうれしいですよ、花梨さん」

「ご、ごめんなさい。いきなりこんなこと言い出して……」

赤くなって俯く姿があまりにかわいらしくて、幸鷹はすぐさま抱きしめたい気持ちを必死に抑えた。

親公認とは言え、年齢差7歳はこの世界では大きい。

しばらくは若紫の成長を見守る光源氏のごとく、大人の男性として接していかねばならないと心に固く決めていたのだ。

(多分翡翠なら「馬鹿馬鹿しい」と言ってのけるだろうが)




「……確かに、ほかの人間が天の白虎に選ばれていたかもしれないと思うと……不思議な気がしますね」

彼方に思いを馳せるように、幸鷹は空(くう)を見る。

「その場合は私、きっとこちらに戻ってきてから幸鷹さんに会ったんだと思います。
う~ん、もしかすると幸鷹さんは日本にいないかもしれないから、大学に入ってからとか、社会人になってからかもしれないけれど」

頬を上気させて話す花梨の姿に、思わず笑みがこぼれた。

「八葉でない私でもいいのですか?」

「そのときは私も龍神の神子じゃないですから! あ~、でもただの女子高生の相手を幸鷹さんはしてくれないかも?」

「私が初めて会った時も、あなたは私にとって神子ではなかった。だからきっと大丈夫です」

「……! …そう、か。そうですよね……」




突然あの世界に迷い込んだ花梨を、検非違使別当という役目があったとはいえ、自ら保護し、助けてくれた幸鷹。

誠実で、思いやり深く、正しいことを貫こうとする澄んだ瞳は、多分、時と場所が異なっても変わらない。

花梨はそう確信できた。

「……私、どこで会ったとしても、きっと幸鷹さんを好きになりました」

「あなたのその輝きは、必ず私の心をとらえたでしょう。出会うのがいつであれ、どこであれ」

「幸鷹さん」

「花梨……」




結局、今日も愛おしさに負けて、幸鷹は花梨を抱きしめてしまう。

(多分翡翠なら……いや、黙れ)

この出会いは偶然か、必然か。

そんな問いにいったい何の意味があるだろう。

腕の中にいる人はただ一人の、かけがえのない存在で、お互いのいない人生などもはや考えられないのだから。

「……ここにいてくれてありがとうございます、花梨さん」

「か、花梨でいいです。花梨のほうがいいです」

「……花梨」

「幸鷹さん」



* * *



「……どうしたんだい?」

「いえ……花梨ちゃんが遊びに来ているんですけど、お茶のお代わりを届けるタイミングがつかめなくて」

「ドアをノックをすればいいだろう?」

「でも、邪魔もしたくなくて」

トレイを持ったままうろうろしている妻を、幸鷹の父は目を細めて眺めた。

「幸鷹がずっと一緒だったら、16、17歳くらいのころにそういう目に遭ったんだろうね」

「その年頃だったら遠慮なく入りますよ! 花梨ちゃんが危ないもの」

「そうか。じゃあ、23歳の幸鷹を信用してそっとノックしてごらん」

「あなたったら……。わかりました、行ってきます!」




思い切って突入した幸鷹の母は、花梨と幸鷹に温かく迎えられ、結局家族そろってのお茶会が始まった。

笑い声と、なごやかな語らいと、全員がともにいることの幸せ。

紅茶のカップを受け皿に置きながら、花梨が幸鷹にそっとささやく。

「もしも幸鷹さんが京へ行っていなくても、私たちはきっと会えたんだと…信じます」

「ええ、きっと……」

午後の穏やかな光の中、二人は瞳を交わし合い、微笑んだ。




「この流れなら、私はとっくに姫君を抱えて閨の中だがね」と、翡翠が言ったとか言わないとか。












 

 
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