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大好きな人に ( 2 / 2 )

 



「誕生日……ですか。私の……?」

「記憶を取り戻した後に、幸鷹さんが教えてくれたでしょう? 私、絶対にお祝いしようと思っていたのに、暦の違いに気づかなくて。腕時計で確認したら、今日が15日だったんです。本当にごめんなさい」

花梨が深々と頭を下げる。

「いえ、そのような! しかし、気づかれたのは昨日……ですよね。これを用意されるのはさぞかし大変だったでしょう?」

膳の上には元の世界の料理が何皿も並んでいた。

「お邸の人がすごく助けてくれたから!」

花梨が明るくそう言うと、紫姫が補うように続ける。

「神子様はこの邸にいらして以来、食事に注文を出されたことがなかったのです。皆は、お口に合わないのを我慢されているのではないかと気にしていたのですが、今回、幸鷹殿のためにと初めていろいろとご指示をいただけて、とても張り切ったのですわ」

「別に我慢なんかしてないよ! でも、元の世界の料理はいろいろ違うから」

「これからは今日作ったものもお出しできますわ」

花梨と紫姫がうれしそうに微笑み合った。

邸の人々が花梨と自分を温かく迎えてくれたのも、この宴をともに作り上げたからなのだろう。




明るい顔で話す花梨と紫姫を見て、幸鷹は胸にこみ上げるものがあった。

突然1000年もの時を隔てた世界に召喚され、怨霊や鬼との戦いに巻き込まれ、まわりには味方もほとんどいない中で、この少女はどれだけの辛さを乗り越えて、こうやって笑えるようになったのだろう。

八葉はもちろん、四条の邸の人々からも慕われ、ついには京のために、命懸けの戦いに赴こうとしている。

迷いもためらいもなく、ただここに暮らす人々を救うために。

ならば自分がこの少女にしてやれること、するべきことはやはりただ一つなのだ。

それがたとえどんなに辛い決断だとしても……。




幸鷹は杯を置くと、花梨に向き直った。

「神子殿、今宵は私のためにお心を砕いていただき、誠にありがとうございます。この藤原幸鷹、一命を賭してもあなたを守り、必ず元の世界に帰れるようにいたします。ですからどうか、お心安らかにおられますよう」

「でも、幸鷹さん……」

花梨の瞳がなぜか戸惑いに揺れる。

「神子殿……?」

「私……」

すっと目を逸らした少女の表情を見たくて、幸鷹は華奢な肩に手を置いた。

「神子殿…」

「……幸鷹さん、私……」

じっと見つめられて、かすかに唇が震える。

次の言葉が紡がれようとしたとき。




「いくら祝いの席とはいえ、これ以上別当殿に好きにさせるわけにはいくまい?」

深く通りのいい声が響き、御簾が勢いよく上げられた。

幸鷹の両肩がガクっと落ちる。

「……翡翠……殿」

「あ! いらっしゃい!」

花梨が明るく迎えたところを見ると、招かれざる客ではないのだろう。

「やあ、神子殿。これはまた豪華な夕餉だね」

すぐに花梨の手を取り、ぐいっと自分のほうに抱きよせた。

「キャ…!」

「翡翠殿!」

幸鷹が立ちあがったところに、青龍の二人が顔を出す。

「よお、別当殿。『誕生日』とやらの祝いだそうだな。厨に雉を一羽届けておいたから、好きなように食ってくれ」

「勝真、今宵は神子殿が用意された膳を囲む宴だ。これ以上の馳走は不要だろう」

「ぜ、全然ごちそうじゃないですから、雉をメインにしたほうがいいかも」

翡翠の腕の中でもがきながら花梨が答えた。




「翡翠、いい加減に花梨を離さないと幸鷹に斬られるぜ」

到着したイサトに言われて、「おや、それは怖いね」と、翡翠は腕を開いた。

八葉がそれぞれ宴の座につくと、彰紋があらためて丁寧に頭を下げる。

「花梨さん、今宵は祝宴にお招きいただいてありがとうございます。幸鷹殿、急なことで手配が間に合いませんでしたので、祝いの品は後日改めて二条の邸にお届けするようにいたします」

「いえ! そのようなお気遣いは無用です、彰紋様」

幸鷹があわてて制止した。

「みんなでお祝いするのが一番のプレゼント……贈り物ですよね、幸鷹さん。だから彰紋くんも気にしないで」

「花梨さんがそうおっしゃるのでしたら」

彰紋の言葉に、花梨がうれしそうに笑う。

「あ、あの、神子……」

今まで一言も口をきかなかった泉水が、遠慮がちに口を開いた。




「何ですか、泉水さん。あれ? そういえば泰継さんは?」

「その……幸鷹殿への祝いの品を持参するとおっしゃっていたのですが……」

「「祝いの品?!」」

珍しく天地白虎の声が揃った。

「どうしたんですか? 幸鷹さん、翡翠さん」

びっくりした花梨が尋ねる。

「何やら……嫌な予感が……」

「するね……別当殿」

顔を見合わせる二人を見て、勝真とイサトがはっと息をのんだ。

「そうか! 泰継のやつ、前に鍋をつくったとき」

「とんでもないものを持ってきやがったっけ」

「確か……イモリの黒焼き」と、頼忠がつぶやくと、花梨も顔色を変えた。

「も、泉水さん! 泰継さん、何を持ってくるって言ってたんですか?」

「申し訳ありません! わたくしがお止めすればよかったのですが…!」

「だから何だよ?!」

イサトに詰め寄られて、泉水は小さい声で

「……北山の…主……」

と答える。

「主?! 何だそれ?」

「まさか天狗ではあるまいね」

「こんなときに冗談はおやめください、翡翠殿」

「クマやイノシシだとしても、主ともなればとんでもない大きさになるぜ」

「勝真、まさかそのようなものを四条に持ってくるわけが」




そのとき、キャーッという悲鳴が邸の表のほうから聞こえた。

「……持ってくるかもしれぬ、泰継殿なら」

「頼忠、とにかく見に行くぞ!」

青龍の二人が局を飛び出し、イサトもそれに続く。

「わ、わたくしがお止めしてまいります!」

「泉水殿、僕も参ります!」

彰紋と泉水も走り去っていった。




「……君は行かないのかね、幸鷹殿」

「あなたこそ、お行きになられてはいかがです、翡翠殿」

花梨を挟むようにして立った白虎がにらみ合う。

「あの~、ちょっといいですか?」

谷間に挟まれた形の花梨が、二人を交互に見上げた。

「何ですか、神子殿」

「何でもお言い、私の白菊」

「パスタって冷めちゃうとまずくなるんです。みんなの分は後でゆでるので、先に食べてもらえませんか?」

「「…………」」

花梨の言葉に顔を見合わせた二人の表情が、次の瞬間、ふっと緩んだ。

「そうですね。せっかくの神子殿手ずからのお心尽くし、おいしいうちにいただきましょう」

「この男も一緒というのが気に入らないが、ありがたく食べさせてもらうよ」

「はいっ!!」




お互いをけん制しながらも、紫姫と花梨の酌で祝いの宴が穏やかに始まった。

「翡翠殿、一応私のための祝宴であることをお忘れなく」

「今までは皆とともに正月に歳を取っていたくせに、別当殿は変わり身が早い」

翡翠の求めにこたえて、花梨は一生懸命料理を解説し出す。

うまく表現できない言葉にあたる度、幸鷹に助けを求めるので、それはそれで楽しい時間だった。



「あなたと私の運命が、どこかでもう一度、つながっているといいのですが」



あの夜、口にした切なる想い。

彼女をこの世界に留めることができない以上、運命をつなげるのは幸鷹自身の決断なのだ。




「おい! おまえら勝手に先に始めやがって!」

「まったく、俺たちの苦労も知らないで!」

「やあ、勝真、イサト、『北山の主』はどうなったのだね?」

「山に帰した」

「あ、泰継さん! いらっしゃい!」

「ここまで生きたままお連れになったのですか?」

「ご心配要りません、別当殿。式神を付けて丁重にお帰りいただきましたので」

「君には苦労をかけましたね、頼忠」

「わたくしが至らぬばかりに申し訳ございませんでした」

口々に語りながら八葉が再び宴の席に揃う。

居心地のいい、花梨を中心に創り上げられた温かな世界。

にごり酒を口に運びながら、この世界に置き去りにしなければならない大切なものの一つひとつを、幸鷹はそっと数え始めていた。







 

 
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