代償
もっと簡単にポキリと折れてしまうと思っていたら、案外とあの雑草は丈夫だった。
しおしおと頭(こうべ)を垂れても、雨なり日光なりにエネルギーを補給されると、弱っていたことを忘れたようにまっすぐに天を向く。
気づけば満面の笑顔で。
なんともたくましくてガサツ。
そう、お前はそうでなければ困る、日野香穂子。
なにせ俺が初めて、素顔をさらした相手なのだから。
* * *
「日野さん」
車の窓越しに後姿に呼びかけると、びくんと飛び上がるのが見えた。
そして、予想以上に「嫌そうな顔」でゆっくり振り向く。
なんとも新鮮な反応。
こちらをうっとり見つめる女の顔なんて見飽きている。
まあ……日野にうっとり見つめられたことは、一度もなかったけれど。
「おはよう。よかったら学校まで送るよ」
車を止め、ドアを開けて歩道に降りた。
「い、いえ、そんな、滅相もない!!」
両手を振って必死に拒絶する。
甘いな。
そんな程度で逃げられると思っているのか?
「遠慮しないで。ほら、後ろからほかの車も来ちゃうから、迷惑になるしね」
「ええっ?! でも…!!」
バタンとドアを閉め、あっという間に日野は車の中。
「さあ、どうやって料理してやろうか」とにんまり微笑むと、青くなってドアに張り付いた。
「ゆ、柚木先輩、どうしてこんなことするんですか?」
「こんなこと? 可愛い後輩を学校まで送るのの何が悪いのかな?」
「それは……!」
ぐっと詰まって赤くなる。
バカだな。
そういう顔をするからいじめたくなるのに。
「それで、少しは勉強は進んだの?
まさか53点より低い点を取ったりはしていないよね」
先日屋上で目にした、お粗末な答案の点数を口に出す。
「よ、余計なお世話ですっ!」
「ひどいな。僕は君のこと、本気で心配しているのに」
傷ついたように言うと、日野の表情が変わった。
「……あ、あの、た、確かにひどい点数なのは認めますけど……」
「でしょう? 本当に心配だよ」
抱き締めるようにぐっと近づくと、硬直する日野。
その耳元に囁く。
「だって……バカは死ななきゃ治らないって言うからね」
「!!??!!」
真っ赤な顔で俺を突き飛ばすと、「最低っ!!」と日野は叫んだ。
ああ、それも初めて言われる言葉。
本当にお前はおもしろいね、日野香穂子。
車を降りて「ありがとうございましたっ!!」と言い捨てると、日野は一目散にエントランスに駆けていった。
俺から少しでも早く離れようとする女……か。
その逃げっぷりがおかしくて、後ろ姿を目で追っていると火原が肩を叩いた。
「おはよう、柚木。今の日野ちゃん?」
いつもの明るい笑顔。
俺はうなずくと、一緒に歩き出した。
「途中で会ったから学校まで送ったんだけどね。
彼女、どうも恥ずかしがりやさんみたいで、降りた途端に走っていっちゃったんだ」
「あ~、わかるわかる」と、火原が大きく頭(かぶり)を振る。
「誰だってあの豪華な車に柚木と二人きりじゃ、緊張すると思うもん。
でも、柚木はすごく楽しかったみたいだね」
「え?」
何のことかわからず、火原の顔を見る。
「さっき日野ちゃんを見送っている顔、すごくうれしそうだったから。
柚木のあんな顔、初めて見たかも」
「まさか」
「うれしそう」じゃなくて「意地悪そう」な顔だったはずだ。
さんざんからかって、逃げ出す様を楽しんで。
火原が初めて見る顔だった……というのは事実かもしれないが。
「柚木ってさ、いつも穏やかで、落ち着いてて、すごいと思うんだけど、きっと本当はもっといろんな顔ができると思うんだ。
おれじゃダメだけど、日野ちゃんはそれを引き出せるのかも! すごいよね、彼女」
「火原……」
ああ、お前は日野バカだったな……と、心の中で嘆息する。
例の合宿の後、見ていて気の毒になるくらい、火原が日野に惹かれていくのがわかった。
「……!…」
そうか。
もし二人がつきあうことにでもなったら……。
「柚木?」
考えに沈み込んだ俺に、火原が不思議そうに声をかけた。
「どうかした?」
「いや、火原の願いが叶うといいなと思って」
そうなったら俺は距離を置くしかない。
「願い? 願いって何の?」
火原とつきあうようになれば、日野は俺のことを話すだろう。
「何の……だろうね。火原がまだ自覚していない願いだよ」
それで俺たちの関係は終わりになるはずだ。
「ええ~? 柚木、もっとはっきり言ってよ!」
感情のおもむくままに始めてしまった火遊び。
後始末は自分でするしかない。
微かに胸が痛むのは、初めての友人を失うことになるからだ……。
「だめだよ、火原。
願いが叶ったら、『ほら、僕が言ったとおりだったろう?』って言ってあげるから」
「え~~っ? そんなの後出しジャンケンみたいでズルい!」
「大丈夫。そのころ火原はハッピーすぎて、細かいことなんか気にならなくなってるよ」
「そうかなあ~?!」
高校を卒業するまでの自由。
この学院内でだけ許された「友情」と「遊び」。
それが先につながることは、決してない。
浮かれていた自分を戒めるように、俺はそっと唇を噛んだ。
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