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雨日和 ( 2 / 2 )

 

「人形……ですか?」

コクンとうなずく。

「中学生のころ、よく作ったんです。小さい鷹通さんを作って、同じ着物を着せて、侍従の香を焚き込めて……。そう…すれば…きっと……」

「神子殿…?」

あかねが話しながら俯いていくのに気づき、鷹通は声をかけた。

「どうかされたのですか…?」

「………」

双方が無言になると、さっきまで気にならなかった雨音がはっきり聞こえ出す。

小川のせせらぎのような、涼やかな響き。

鷹通は、あかねの態度が理解できず、かといってこれ以上声もかけられず、黙ってその音を聞いていた。




「……京に平和が戻ってほしいのに」

ようやく紡がれた言葉に、ドキリとする。

「元の世界に帰りたいのに……」

そしてまた、雨音が響く。

その先の言葉を確かめられず、沈黙の時が流れる。

(……まさか、神子殿も…? いや、この方はきっと、藤姫様や八葉たちとの別れを惜しんでいらっしゃるのだ……)

やりきれない思いにとらわれて、鷹通は小さく溜め息をついた。

びくんとあかねの肩が震える。

「あ、ご、ごめんなさい!」

「…神子殿?」

あかねは、まっすぐ鷹通の瞳を見つめた。

「鷹通さんは一日でも早く、京に平和を取り戻したいですよね。
当たり前ですよね。私、精一杯頑張ります。だから、安心してください」

「神子殿」

必死の形相が痛々しくて、思わずその頬を掌で包む。

「大丈夫です。そのように焦られる必要はありません。
あなたと共にいられる時間が、一日でも、一刻でも長くあってほしいと……私は願っているのですから」

「…鷹通さん…」

見つめあったまま、時が流れる。




徐々に、鷹通の顔に朱が上り出した。

自分が、かなり告白めいたことを口にしたと、ようやく気づいたらしい。

慌てて手を引っ込める。

「あ、あの、ご無礼をいたしました」

「ううん、そんな、無礼なんかじゃありません」

同じく赤くなってあかねが答える。

「に、人形ができたら、ぜひお見せください」

「は、はい」

「針や糸や、何かほかにもお入り用な物があれば」

「ううん、大丈夫……」

と、言いかけて、あかねは鷹通の顔を見上げる。

その瞳を鷹通が覗き込む。

お互いの切なげな視線がぶつかりあった。

「……私が欲しいのは…」

瞬きすらせずに、見つめあう。

「…はい…?」

「私が、本当に欲しいのは……」

眼差しがすべてを語る。

短い沈黙の後、あかねはゆっくりと睫毛を伏せた。

引き寄せられるように、鷹通は両頬を掌で包む。

静かに身体を傾けると、そのままそっと唇を重ねた。




穏やかで、柔らかな口づけ。

雨の音が絶え間なく聞こえる。

突然想いを伝えあうことができて、お互いまだ夢の中にいる心地だった。

触れている部分の熱さだけが、現実の出来事であると教えてくれる。

このまま時が止まればいいと、二人は強く願った。




やがて。

軽く重ねあっていただけの唇が離れ、互いの目を声もなく見つめあう。

「……私に…少し時間をくださいますか? 神子殿」

しばらく後、穏やかな微笑みを浮かべて鷹通が言った。

「…鷹通さん…?」

「今すぐには無理でも、私たちが共にいられる方法を……探したいと思うのです」

あかねの頬がゆっくりと薄桃色に染まる。

「…はい」

「ありがとうございます」

交わす微笑み。

どのような選択が、相手を幸せにできるのか、二人の未来を明るくするのか。

まだ何もわからなかった。

だが、気持ちがようやく通いあった今、まったく新しい道が拓けるような気がする。




「このお人形は、会えなくなった後、鷹通さんを思い出すために作るんじゃなくて、鷹通さんと二人で『そんなことがあったね』って話すために作ります」

「そうですね…。どれだけの物が遺ったとしても、あなたがいなければ意味はない。
私はあなたのそばにいたいのです。
声を聞いて、目を見交わして、その暖かさに触れたい」

「私と一緒にいてください、鷹通さん」

「私のそばを離れないでください、あかね殿」

そっと身を寄せあい、錦の海のほとりで互いの手を握りあう。




寄せては返すさざ波のように、降り続く雨の音がいつまでも響いていた。

 

 

 
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