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甘い囁き ( 2 / 2 )

 

「鷹通さん!」

集いでの行いを恥じるかのように、そっと帰ろうとしていた後ろ姿に呼びかけた。

ビクッと肩を震わせた後、鷹通さんはゆっくりと振り向く。

「……神子殿」

「大丈夫ですか? 熱でもあるとか? 具合が悪いんじゃないですか?」

私が額に手を当てると、ポッと赤くなった後、がっくりうなだれてしまった。

「……熱は……ないみたいだけど」

「私は神子殿にご心配をかけてばかりで……本当に、情けないです」

「え?」

鷹通さんは透廊の高欄に手を掛け、そのまま黙り込んだ。

前髪がかかった横顔はひどくつらそうで、私はどうしていいかわからず、山吹色の衣を見つめた。

八葉のみんなはまだ藤姫と話しているのか、渡殿にいるのは私たち二人だけだ。




「……私は……」

「……?」

しばらく後、鷹通さんは小さな声でつぶやいた。

「……私は……仕事のことや使命のこと、京の情勢や……せいぜい四季の移ろいなど……そんな、神子殿が退屈されるようなことしかお話できません」

「……え……?」

「……神子殿はお優しいですから、そんな私の話でも真剣に、楽しそうに聞いてくださいますが……」

「鷹通さん……?」

大きなため息の後、絞り出すように言の葉が紡がれる。

「……私は女性の方が喜ばれるような……気持ちを華やがせるような言葉を、まったく持ち合わせていないのです。それはやはり、私が子どもだということで……」

「!!」




「鷹通さん」

思わず鷹通さんの袖に手を掛けてこちらを向かせ、正面から顔を見つめた。

「何の話ですか? 私が喜ぶような言葉?」

「…………はい」

「まさか、その、友雅さんみたいに話せないっていう意味ですか?」

「…………………はい」

「!!」

鷹通さんは多分、とっても真剣に思い詰めていたのだろうが、私はたまらず吹き出してしまった。

「……神子殿」

「だ、誰だってできませんよ、あんな囁き! 年齢とかの問題じゃなくて、もともと性格が違うんですから! だいたい鷹通さんまであんなこと言い出したら、私、困ります!!」




「しかし……」

「私、鷹通さんとお話しするの、大好きですよ。とっても勉強になるし、どんなことでも丁寧に説明してくれるし。鷹通さんが京やそこに暮らす人たちのことを大切に思っているのが伝わってきて、私も神子として頑張ろうって思えるんです。だから、そんなこと気にしないでください!」

鷹通さんは、しばらく私の顔を見つめていたが、やがて失望したように目を伏せた。

「鷹通さん?」

「わかっているのです。私が望んでも叶わないのだと」

「え? 何が?」

「先ほど……」

言いかけて、眼鏡を指で押し上げると、鷹通さんは思い切ったように続けた。

「先ほど友雅殿と話されて、局を出てきた時の神子殿のお顔が……」

「……顔?」

「……はい。恥じらいに頬を染められた顔(かんばせ)が、咲き初めた花のように美しく、瑞々しく輝いていらっしゃいました。あのように愛らしく、心惹かれる表情を引き出す言葉を、私は持ち合わせておりません。ですから、神子殿の内に清浄なる光を点し、あなたという稀なる花を綻ばせることができる友雅殿がうらやましいと、心底思ってしまったのです」

「…………」

「お許しください。このような気持ち、八葉として失格……」

ようやくこちらを見た鷹通さんが、びっくりして動きを止めた。




当たり前だ。

私の顔はこの上ないほど赤くなっていたから。

多分、花どころか熟れたトマト並みにすごい色だったと思う。

「み、神子殿……?」

「もう~!! 二人揃って私に何をさせたいんですか!!」

「え? い、いえ、私は何も……!」

「もう~~!! イヤだ、天地白虎のバカ~~!!!」

「ば、バカ?」

熱く火照る頬を持て余しながら、私は一目散にその場を逃げ出したのだった。

「神子殿……!」

と、気弱に呼びかける鷹通さんの声を背にして。



* * *



パタパタと渡殿を駆け去るあかねの足音を、鷹通は呆然と聞いていた。

先ほど目にした表情は、確かに彼が求めていたものだったのだが……。

「鷹通、君もなかなかやるね」

いつから聞いていたのか、蝙蝠(かわほり)を手で弄びながら友雅が歩み寄ってくる。

頬を上気させたまま、鷹通は真剣に問い掛けた。

「あ、あの、友雅殿、神子殿はいったいどうされたのでしょう?」

「おやおや、無意識とは手強いな。私もせいぜい頑張ることにしよう」

「????????????」

いつもの如く、友雅の口から答えが告げられることはなかった。

「……自分で考えてごらん」




その後、鷹通の顔を見る度にあかねは赤面し、ぷいっと横を向いてしまうようになった。

悩んだ鷹通が丁寧な詫び状をしたためると、ようやくぎこちなく話すようになり、やがて元の状態に戻ったが、それでも鷹通と話す時、あかねはうっすらと頬を染めた。

「……最近の神子殿は、まるで蕾がほころびかけた花だね」

「友雅殿もそう思われますか? 私もお話をしていて、その美しさに心を打たれてしまうことが多いのです」

「……春の使者には自覚がないようだがね」

「??」

鷹通が自分の気持の「正体」に気づくまでには、もう少し時間を要したという。

春爛漫の花吹雪の中。



 

 
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