クリスマスの後に

 



「おはよう、望美。昨日は譲殿と楽しく過ごしたみたいね?」
「おはよう、朔。え? どうしてわかったの? 私、にやけてた?」
12月26日の朝、有川家を訪ねた望美は、庭に水やりに出てきた朔にそう話しかけられて驚いた 。
昨日のクリスマスに、譲と望美が一緒に外出したことは皆がもう知っているのだが……。


頬を染める望美に微笑みながら、
「確かにあなたも幸せそうだけど、昨日、譲殿がとてもうれしそうだったから、きっとうまく いったのだと思ったのよ」
と、理由を告げる。
朔は玄関の前から徐々に庭へと、ジョウロの水を丁寧にかけ始めた。
「譲くんが……? そっか……じゃあ、あれ、やっぱり本心だったんだ……」
さらに赤くなりながら、望美は自分の足元を見つめた。


「でも、俺はうれしかった。今日二人で出掛けたこと」
「とても楽しかったです」



「本心って? 望美、譲殿の言葉が信じられなかったの?」
朔が意外そうに顔を上げると、
「だって、考えられる限り最悪の出来事の連続だったんだよ!」
と、望美は昨日の顛末を語り出した。


「私に全部まかせて!」と言ったのに、いきなり店の開店時間を間違えたこと。
二人で訪ねた国宝館が、ものすごい混雑だったこと。
そこで財布を落として、結局夕方まで探す羽目になったこと。


「もう、譲くんに申し訳なくて申し訳なくて、最後のほうでは泣きたくなっちゃった。せっか くのクリスマスに自分から強引に誘っておいて、こんなグダグダになるなんて、私って最低!  って。地の底まで沈んじゃうような気分。そうしたら、譲くんが家に誘ってくれて……」
「あら、望美は昨日も来たのね」
「うん。そういえばあの時はみんないなかったね。それで、温かいココアを入れてくれて、今日はとっても楽しかった、一緒に出掛けられてうれしかった、って言ってくれたの。そんなわけ、絶対にないのにね……」
そのときの切ない気持を思い出したのか、望美は少し涙ぐんでいた。


「……譲殿らしいわ」
朔の言葉に、こくりと頷く。
「譲くん、本当に優しいよね。絶対に腹が立ったと思うのに、そんなこと一言も言わないで。 私が失敗するたびに、大丈夫ですよ、ってフォローしてくれて、私が落ち込んでるんじゃないかって心配までしてくれて……」
気づくと、一粒、二粒と涙のしずくが望美のまつ毛から滴っていた。
「望美?」


「あ、ごめん」と涙をぬぐい、少し笑ってから望美は続けた。
「だからね、ときどき不安になっちゃうの。私みたいなのがつきまとってると、もっと美人で、気が回って、家事とかもどんどんこなせて、ドジじゃない素敵な人が譲くんに近づくのを邪魔しちゃうんじゃないかって。私といると、しなくていい我慢や苦労をたくさんさせちゃうでしょ? 譲くんには絶対幸せになってほしいのに。たとえば朔といたほうが、私といるより譲くんは絶対幸せになるのに」
「望美」
朔はすぐに反論しようとして、望美の背後に視線を流し、ぐっと言葉を飲み込んだ。
そして、
「……じゃあ、今度は私が譲殿と出掛けようかしら」
と、突然言い出す。

「え?」
「確かに譲殿は真面目で努力家で、文武に秀でているし、素晴らしい殿方だと思うわ。親友のあなたが許してくれるのなら、おつきあいしてみるのもいいかもしれないわね」
「さ、朔……?」
空になったジョウロを胸の前に掲げて、朔は続けた。
「趣味も合うし、一緒に料理するのも楽しいし、考えてみると向こうにいるころから長い時間をともに過ごしてきたのよね。二人でこの鎌倉をあちこち歩くのも楽しそうだわ。早速、今日にでも誘ってみようかしら」
望美の顔が見る間に青ざめる。
「ど、どうしたの、朔が急にそんなこと言うなんて…」
「どうして? だって、望美はそのほうが譲殿が幸せになると思うのでしょう?」
「そ、それは確かに、そうお、思う……思う…けど……」
その先の言葉が、のどにひっかかって出てこない。
代わりに、見開いた瞳から涙がこぼれ出した。
「! ……望美?」


「そ、そう思うけど、でも、そう思わない! わ、私、確かに朔に比べると駄目なところばっかりだけど、でも、でも私、譲くんのそばにいたいの!」
「望美」
「頑張るから! 譲くんが一緒にいてよかったと思えるようになるから! だからお願い!  譲くんを」
「朔、もうやめてくれ」


突然後ろから声がして、望美の肩が包みこまれた。
そのまま抱きしめられて、望美は茫然と口を開く。
「譲……くん……?」
「先輩、立ち聞きしたみたいですみません。でも……。! 泣いてるんですか?」
「だって……」
ポロポロとこぼれおちるしずくを、譲はハンカチであわててぬぐった。


「まったく、譲に『サービス』しすぎだぜ、朔ちゃん。それとも、オレたちに聞かせるほうが目的だった?」
「君は僕より軍師向きかもしれませんね」


同じく背後で、朱雀の二人の声が響く。


「ったく、昨日のデートでしっかりくっついたと思ったのに、まだグズグズしてるのかよ、お前らは」
「将臣、譲と望美は昨日ともに外出しただけではないのか? まさか、祝言でも?!」
「ははは、九郎、さすがにそれはないよ〜」


次々と八葉たちの声が聞こえ、どうやら全員が家の外に出ていたのだと望美は気付く。
ということは、朔とのやりとりを全部聞かれた……?
状況を理解した途端、望美の顔は真っ赤に染まった。
「……先輩?」
「うそ〜!! ど、どうしよう、私……!!」
熱くなった頬に両手を当て、目をギュッとつぶる。
恥ずかしくて、この場から消えてしまいたかった。


「大丈夫よ、望美。だって、あなたが口にしたのは本当の気持ちでしょう?」
朔の穏やかな声が、耳に届いた。
「ふさわしいとか、ふさわしくないとか、そんなことは関係なく、譲殿のそばにいたい……それがあなたの願いなのよね?」
目を閉じたまま、半分ヤケになってブンブンと頷く。
譲の声にならない声が、聞こえた気がした。
「だったら、誰に聞かれてもいいわね」
朔がにっこりと微笑んでいる姿が目に浮かんだ。
それでもまだ、目は開けられない。
肩を包みこむ腕に、少し力がこもった気がした。


「先輩……」
やがて、ためらいがちな声がする。
「……ごめん、譲くん」
「? 何がですか」
「だって、勝手に一緒にいたいなんて言ったら、迷惑だよね」
「そんなわけないでしょう。俺は、一緒にいられるのが一番うれしいんです」
「……譲くんは優しいから……」
「俺は先輩に、本心じゃないことを言ったりしません」
「……本当?」
「ええ。……そろそろ、目を開けてくれませんか」


促されて、ゆっくり目を開けると朔も八葉の姿も消えていた。
庭の隅に立っているのは、譲と望美の二人だけ。
「……あれ」
「みんなそっと家の中に入っていきましたよ。恩着せがましいウインクとか、飛ばしまくっていましたけど」
「うわ……誰がやったか想像がつくなあ。恥ずかしい……」
ようやく身体を離すと、赤い顔のまま譲と向かいあう。


「あの……。じゃあ……また一緒に出掛けてくれる? 迷惑とかじゃない?」
「もちろんです。……その、時々は俺から誘ってもいいですか?」
「う、うん! 誘ってくれたらうれしい!」
「わかりました。そんな気のきいたところには行けないかもしれないけど」
「行く先なんて関係ないよ! 一緒にいられるのが一番うれ……」
突然、望美が目を見開いた。
言葉が止まったので、譲が不安そうに瞳を覗きこむ。
「先輩?」
「一番うれしい……んだね。そっか……」
笑いながらうつむくと、パフっと譲の胸に顔を埋めた。
「……先輩」
「うれしい。一緒にいるのが、とっても……うれしい」
「ええ。そうですね……」
胸の中の望美を包み込むように、譲はそっと背中に腕を回した。


凍えるような冬の日。
戸外の寒さに二人が気付くのは、かなり後になってから。
今はようやく触れあえたお互いの心の温かさに、うっとりと目を閉じるのだった。



* * *



「で? 告白は成功したのか?」
「何言ってるんだよ、兄さん。先輩とはこれからも時々一緒に出掛けようって約束しただけだ」
「……え、マジ? お前らあんなに大騒ぎして、成果はそれだけなのかよ?!」
「大丈夫よ、将臣殿。ゆっくりだけど、ちゃんと前に進んでいるわ」
「はあ……。定年前には結婚できるといいな、譲」
「兄さん夕飯抜き決定」
「なにい〜っ?!」


その夜、有川家の食卓には、一人恨めしそうにカップラーメンをすする将臣の姿があったとか、なかったとか……。






 

 
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