I hope

 

(あれは……実際にあったことだよね?)

花梨は、もう何十回目にもなる問いかけを、自分にしていた。

そっと唇に触れてみる。

半日前、そこに幸鷹の唇が重なっていた。

柔らかく温かい感触。

伏せられた長い睫毛。

頬に触れるさらさらの髪。

すべてがリアルによみがえって来て、花梨は一人で顔を朱に染めた。


蚕の社で、最後の心のかけらを取り戻したとき、自分が幸鷹にどうしようもなく惹かれていることに気づいた。

その決然たる凛々しさ、まっすぐで真摯な瞳、優しく温かい人柄、痛々しい過去の傷……ひとつひとつに触れ、彼と言う人間を知れば知るほど、そばにいたい、離れたくないという想いが強くなっていた。

"I wish I could..."

昨日、幸鷹の叶わぬ願いを聞くのがつらくて、思わず本音が口から出た。

"I want to stay with you...forever."

英語だからこそ言えるストレートな願い。

日差しに目を細めるように、愛おしげな笑顔を浮かべると、幸鷹はすいっと顔を近づけてきた。




「…え…?」

次の瞬間、重なる唇。

目を見開いていた花梨には、驚くほど近くにある長い睫毛と、絹糸のような前髪がしっかりと見えた。

(なんてきれいな人だろう)

その人にキスされていることが信じられなかった。




「……神子殿…」

気づくと、目の前で幸鷹が苦笑していた。

唇はすでに離れている。

どうやらずっと目を開けっ放しだったらしい。

「……あ……」

カーッと、頭に血が上る。

「わ、わた、私…!」

言葉がうまく出ないで、パクパク口を動かしていると、顎に手が添えられた。

「?」

「…今度は目を…閉じていただけますか?」

驚くほど艶やかな眼差し。

(幸鷹さんでもこんな顔をすることがあるんだ…)

魅力的な瞳に逆らえるはずもなく、花梨はそっと目を閉じた。

鼓動だけが、ドクドクと時を刻んでいた。




触れてはすぐ離れ、角度を変えてまた重ねられる温かな感触。

髪を、頬を、額をゆっくりとすべる指先。

幸鷹の胸に身体を預けながら、花梨は夢見心地だった。

春の陽だまりの中にいるような、淡い光に包まれているような、何とも言えない浮遊感さえ感じて。

結局、物忌みの残りの時間を、花梨は幸鷹の胸の中で過ごした。

言葉はほとんど交わさず、互いの髪に触れ、手を握り、時に唇を寄せて、冬の短い日が暮れるまで、寄り添い続けたのだった。




今、思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしいが、あのときは不思議とそう感じなかった。

「英語……だったからかなあ…?」

花梨は声に出してつぶやいた。

日ごろは謹厳実直を絵に描いたような幸鷹が、昨日は翡翠も驚くほど(笑)自然に花梨を抱き締め、口づけの雨を降らせた。

英語の会話が、帰国子女である幸鷹の「欧米人的な面」を目覚めさせたのかもしれない。

(ま、まさかあれがあいさつ代わり…ってことはないよね?!)

自分で思いついておいて、大慌てで否定する。

花梨にとってはまぎれもないファーストキス。

それはやはり、愛がこもったものであってほしかった。




明日、いったいどんな顔をして幸鷹に会えばいいのだろうと困惑しながら、花梨はまた自分の唇に触れる。

(あれは……実際にあったことだよね?)

そうしてまた、想いは堂々巡りを始めるのだった。